Lipton28 blog

欲求不明です。

コタキ兄弟と四苦八苦

第4話『死苦』

 

愛すべきダメオヤジ2人が「レンタルおやじ」を始めた。

ここら辺の地区はおやじが少ないらしい。

兄弟おやじ。

 

依頼人はキツそうな中年女性。

「あと3か月したら世界が終わる」という。

だから、お金で兄弟おやじを雇い

買い物に行っては「カーディガンを見つけてこい」とこき使う。

終末論者だと思った弟おやじは、言うなりになって大金を稼ごうと割り切る。

 

でも、世界が終わるのは依頼人だけのこと。

いろいろ手を尽くしたが、どうにもならない病いのせいで自分の人生が終わる。

自分がこれまで築いてきた関係や人間性を壊さずに、きれいに逝きたい。

悪態をつくのはお金で雇った兄弟おやじで十分だという。

 

きれいに逝くつもりで、

悪態ついて、自分の代わりにこき使うだけの関係だと思っていたが、

そこは兄弟おやじ。

滲み出てしまう、

温かさが。

ぬくもりが。

 

なぜ自分だけがこの世界から消えなければならないのか。

 

兄弟おやじが言う。

超新星爆発が起きると、人類は消滅する。

人類も地球も何度も滅びる。

われわれもいずれは滅びる、

その滅びる日に多少の違いはあるけれど。

 

やっぱり最後は兄弟も遠ざけて一人で逝ってしまう。

 

お別れの会には生前の美しいままの笑顔の写真とその横に色紙が。

「香典はお断りします。

 どうぞご自分のためにお使いください。

 皆様、一足お先に失礼します。」

 

嫌われているくらいがよかったのに。

兄弟おやじが案外に良い人だったから。

 

「死苦」 死んでゆく苦しみ。

 

兄弟おやじ、兄一路は古舘寛治、弟二路は滝藤賢一依頼人樋口可南子

どれもぴったりで、

やさしくて、

あたたかくて、

ほろ苦い。

 

 

 

カムカムエヴリバディ

本当は、何もかもるいに話すつもりで。

るいに謝りたくて、安子に、父ちゃんに、母ちゃんに謝りたくて、許して欲しくて訪ねて来たのだろうに。

 

「さぁ、どうだったかなぁ」なんて。

 

算太は変わらない。

いつも都合が悪くなると逃げ出す。

 

そうして重い荷物が増えていく。

 

もうそろそろ荷物を下ろしてもいいよ。

誰も責めたりしないから。

無様に泣いて詫びて許しを請うてくださいな。

 

人は最後に自分の見たいものを見るんだ。

金太が、戦争から帰ってきた算太を迎えたように、

算太は商店街を思い、家族を思い、たちばなを思い出した。

見上げてこぼれた涙が名演でした。

 

自分に失望して、みっともなくて恥ずかしくて、

そこからが人生は長い。

終わらない限り続いていく。

やがて、終わりが来る。

必ず。

誰にでも。

望んでも、望まなくても終わりは来る。

始まって終わる。

失ってまた手に入れる。

ただそれだけの事。

それ以下でもそれ以上でもなく、

終わりまで生きる。

裸足で逃げる

想像以上にキツい本だった。

 

「私たちは生まれたときから、身体を清潔にされ、なでられ、いたわられることで成長する。だから身体は、そのひとの存在が祝福された記憶をとどめている。その身体が押さえつけられ、なぐられ、懇願しても泣き叫んでもそれがやまぬ状況、それが、暴力が行使されるときだ。そのため暴力を受けるということは、そのひとが自分を大切に思う気持ちを徹底的に破壊してしまう。」(p6)

暴力は循環し、世代を超えて連鎖する。

 

著者は、2012年夏から2016年夏までの4年間、沖縄で風俗業界で仕事をする女性たちの調査を始めた。

年若くして夜の街に押し出された少女たちがどのような家庭で育ち、どのように生活しているのか。それらを知ることで暴力の被害者になってしまう子どもたちの支援の方法を考えるというもの。

 

著者が昔、地元沖縄でたくさんのことを見たり聞いたりして、自分たちの街にある暴力にうんざりしていく。自分の中にある、明るく光るものが壊れていくような気がして街を離れる。

その気持ちが痛いほどよくわかる。

本を読んでいて私自身がうんざりした。

自分がする減っていくような気さえした。

 

そして地元に戻った著者は、彼女たちに話を聞き、深く踏み込んでゆく。

 

「私には地元の街でだれかの姿を見失うことをもう二度と繰り返したくないという強い思い」(p18)とともに、とても静かだが怒りを感じる。上間さんの怒り。

 

うんざりする物語の後に、上間さんのあとがきを読んで泣けた。

 

「彼女たちは生き抜いたのだ。

自分の足でそこから逃げて、生きている。

 

彼女たちの拠り所が子どもしかないこと、回帰する場所が家族しかないこと、こんなにもいくつもの困難をひとりで引き受けるしかなかったこと。

これが日本の現実。

 

ああ、どうやっても朝はやってくるのだから、簡単に絶望してはならないという思い。

 

女の子たちが自分の足で歩こうと切り開く道が、引き受けるに値する相応の困難と、それを克服する喜びに満ちたものであることを願っている。」(あとがき)

 

いつもいつも寄り添うとする上間さんの姿がそこにある。

どんなにうんざりしても。

どんなにうらぎられても。

上間さんは駆け付ける。

この本に記された少女たちの後ろにいる、何十人何百人もの少女たちを思う。

 

いま世界で戦争が始まっている。

かの国は、情報統制がされているという。

そう聞くと「ひどい国だ」と思うが、はたして我々の住むこの国では違うのか?

沖縄で何万人クラスの集会があっても一切報道されない。

給食費が払えなくて、家のことをしなければならなくて、あるいは勉強についていけなくて学校にいけない子どもたちが、いったいどれほどいるのか。

自分で知ろうとしなければ、何もわからない。

こんなに一日中、テレビから映像が流れているのに。

 

まずは知ること。

それが何よりも1歩なのだ。

上間さんの怒りを、失望を受け止めるところから始めるのだ。

 

裸足で逃げる  沖縄の夜の少女たち 上間陽子著  2017.3.1 太田出版

一人称単数

久しぶりの村上春樹

 

「一人称単数」とは世界のひとかけらを切り取る「単眼」のことだ。

しかしその切り口が増えていけばいくほど、「単眼」はきりなく絡み合った「複眼」となる。

そしてそこでは、私はもう私でなくなり、僕はもう僕でなくなっていく。

そしてそう、あなたはあなたでなくなっていく。

そこで何が起こり、何がおこらなかったのか。

「一人称単数」の世界にようこそ。

 

さて、

短編8作からなる。

石のまくらに

クリーム

チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ

ウィズ・ザ・ビートルズ

ヤクルトスワローズ詩集」

謝肉祭

品川猿の告白

一人称単数

 

 

石のまくら

ある日”僕”は、アルバイト先の女性を部屋に泊める。

親しく言葉を交わしたこともなければ、名前だっておぼつかない人だ。

その女性から、数日後に短歌集が郵送されてくるというお話。

  午後をとおし/この降りしきる/雨にまぎれ

  名もなき斧が/たそがれを斬首

 

その後長い歳月が過ぎ去って、多くのものが消え去り、ささやかなあてのできない記憶だけが残る。

”僕”は思う。

「ときとしていくつかの言葉が僕らのそばに残る。(中略)その辛抱強い言葉たちをこしらえて、あるいは見つけ出してあとに残すためには、人はときには自らの心を無条件に差し出さなくてはならない。そう、僕ら自身の首を、冬の月光が照らし出す冷ややかな石のまくらに乗せなくてはならないのだ」(p23)

 

彼女が送ってきた短歌集が「死」を連想させる。

会津地方の昔話に似た話があって、

旅人を泊めた宿屋が、客に石の枕を出し、客が眠ると石の槌で頭を割って殺してしまうという話。

このお話で部屋に泊めてほしいと言ったのは彼女のほう。

枕を貸してあげたのは”僕”。

 

8つの短編すべてが、まるで村上春樹自身の私小説のような空気がある。

そして「死」がつきまとう。

 

たち切るも/たち切られるも/石のまくら

うなじつければ/ほら、塵となる

 

続き後日。

 

『一人称単数』村上春樹/著 2020年7月20日 文藝春秋

日常の偶然

ドラマだと、そんなそんな・・・いくら何でもできすぎ・・・

とかなってしまう偶然とか、けっこう日常にあったりする。

 

例えば、

娘が結婚すると言い出して、長年付き合ってた娘の彼氏が

ご両親を連れてやってきた。

両家の顔合わせという場面で、母親たちが固まる。

えっ、高校のクラスメイトじゃん。

 

意外にあること。

災害時出勤困難休暇は読書の日

例年にない豪雪。

JRもバスも終日運休。

こんなことは記憶にない。

 

外は猛吹雪、いきなりの休日。

食べては昼寝、

起きては読書、の繰り返し。

良い一日だった。

 

ゴールデンカムイ24巻』

前回から間が空いてしまったので、思い出すのにちょっとかかった。

そうか、そうか。

鯉登くんはいいやつだったのだな。

インカラマッよく頑張ったね。おめでとう。

王様になりたい海賊くんは、敵か味方か。

まだ信じるわけにはいかない。が、とんだ質問野郎だったので

杉元の過去がほんの少し見れた。

耳が真っ赤になるアシリパンさん…どうなるのだろうか。

札幌に集結し始めたけど、不穏な空気しかない。

 

 

『木曜殺人クラブ』 リチャード・オスマン/著  羽田詩津子/訳

前評判がいいので楽しみにしていた。

が、なんだか集中できずに読むのに時間がかかった。

やたら「コーヒーとクルミのケーキ」をおススメされて話が進まない。

そうだ、これがイギリス作品だ。

アガサクリスティーの火曜クラブと一緒。

きっと今は集中できなかっただけだろう。

しつこいギャグにもイラっときたし。

エリザベスが何者なのか。

ドラマ見ているみたいだったのですぐにでも映像化になりそうだ。

第2弾もあるとのことで、人気あるのだろう。

エリザベスはジュディ・デンチかな。

高齢者が集まる住居で、ジュディデンチといえば、

以前『マリーゴールドホテルで会いましょう』って映画があった。

結構な高額でインドのホテルを高齢者住居に充てたというもの。

好きな映画だった。

優雅な老後のはずが、ふれこみとは全然違うおんぼろホテルが用意されていた。

戻る場所がない、と言ってしまえばそれまでだけど

想像を超えた環境にいきなり置かれて、それでもそこで生きていこうとする。

あの時のジュディすてきだった。

素敵な大人の女性だった。

『木曜殺人クラブ』とは全く関係のないことばかりが浮かんでしまったが・・・。

 

 

『眠れぬ夜はケーキを焼いて」午後/著

この手のコミックエッセイは、普段は読み飛ばしているのだが

今回は良かった。

このなんというか、すこし怯えた感じが良い。

ちょっとビクつきながらも前に進もうとしている感じが良い。

レシピもよかったので早速試してみた。

第2弾があったのでこちらもチェック。

 

 

さてさてダラダラだったけど、まぁ良い休日だった。

明日はバスが動くのか。

 

ガブリエル・バンサン

『あの夏』

 大きなくまのアーネストおじさんとちいさなセレスティーヌの物語。

 二人にとって大切なガズーが亡くなってしまう。

 哀しくて苦しくて切ない。

 それでもすこしづつ、すこしづつ思い出にしていく。

 

『パブーリとフェデリコ』

 1.森にいく  

  誰にも心を開かない少年が、森で暮らす老人のもとへ行く

  すこしづつ心を開く、話す、笑う。

 2.海辺で 

  森でたった一人で生きてきた老人だけど

  離れないで、遠くに行かないで、心配だから。

 3.でっかい木

  わずかなもので生きること。

  わずかなものしかもたなくても

  たっぷり生きること

  死に向かう老人と。居場所のない少年。

  通い合うこころ。

 

ガブリエル・バンサン  ベルギーの絵本作家 1928-2000

まだまだ読みたい作家