Lipton28 blog

欲求不明です。

『一人称単数』クリーム

『クリーム』

 

主人公の浪人生である〝僕〟は、ある日ピアノの演奏会の案内状を受け取る。

相手は子どものころ同じピアノ教室に通っていた女の子から。

その女の子は、僕より一つ年下で、ピアノは僕よりうんと上手だ。

顔が合えば挨拶をするくらいで、個人的に話をしたこともなく、

親しい間柄ではない。

そんな相手からの、突然の案内状なので意外に思いながらも、その演奏会へと出かけてみることにした。

 

手には小さな花束を持って。

 

会場は神戸の山の上のホールである。

指定のバス停でバスを降りて、一人でさらに山道を登っていく。

周りは高級住宅街だ。

 

やがて会場であるホールにつくが、そこには無人の建物があるだけだった。

鉄扉は固く閉ざされ、南京錠がかけられている。

何かの間違いだろうと、案内状を確認するが日時も場所もあっている。

 

僕は来た道を戻ることにした。

重い足取りで。

途中に小さな公園があった。

僕はその公園にある四阿で休むことにする。

一度腰を落ち着けると、自分がひどく疲れていることに気づく。

 

その時、公園の周りにキリスト教の宣教車がスピーカーから流す声が聞こえる。

「人はみな死にます」

「すべての人は死んだ後、その犯した罪によって激しく裁かれます。」

 

 

なぜ自分がここにいるのか。

どうしてこんな目に合うのか。

考えているうちに、呼吸が苦しくなり過呼吸のような状態になった。

僕は両目を固く閉じて、呼吸を整えるように努めた。

 

ふと気が付き目を開けると、その四阿には一人の老人がいて

僕をじっと見ていた。

老人は苦しそうにしている僕を見ても何も言わず、

ただじっとそこにいた。

そして

「中心がいくつもある円や」と言った。

 

「中心がいくつもあってやな、しかも外周を持たない円をきみは思い浮かべられるか?」

 

 

「わからない」と答えた僕に老人は

 

「この世の中、何かしら価値のあることで、手に入れるのがむずかしうないことなんかひとつもない」

と言った。

「時間をかけて手間をかけて、その難しいことを成し遂げたときに、それがそのまま人生のクリームになるんや」

 

 

クレム・ド・ラ・クレム

クリームの中のクリーム。とびっきり最良のもの。

 

もう一度目を開けたときには、老人はそこにいなかった。

 

というのがあらすじです。

 

なんのこっちゃ。です。

全く分からない話です。

 

この話は、大人になった主人公の僕が、年下の友人に過去に起きた奇妙な話として語っている。

だから話を聞いた友人も「もうひとつ話がつかめないのですが」という。

そりゃそうだ。

 

で、この掴みどころのない奇妙な話が、読後よく思い出すのです。

「人生のクリーム」の話。

 

この主人公は大人になった今も、わからないという。

 

「ぼくらの人生にはときとしてそういうことが持ち上がる。

 説明もつかないし筋も通らない、しかし心だけは深くかき乱されるような出来事が」

 

「それはおそらく、具体的な図形としての円ではなく、人の意識にのみ存在する円なのだろう。

たとえば心から人を愛したり、何かに深い憐れみを感じたり、この世界のあり方についての理想を抱いたり、信仰を見出したりするとき、ぼくらはとても当たり前にその円のありようを理解し、受け入れることができるのではないか」

 

「きみの頭はな、むずかしいことを考えるためにある。

 わからんことをわかるようにするためにある。

 それがそのまま人生のクリームになるんや」

 

 

 

さて、この話のポイントは

・届いたピアノ演奏会の案内状の謎

・公園に響いた、キリスト教の宣教車の声

・四阿にいた老人

・人生のクリームの話

 

考えれば考えるほどわからないことばっかりだ。

わからないと放り投げてしまえば、そのまま時は過ぎる。

でも、放り投げてしまうには人生は長すぎて、

考えるには人生は短すぎると思うのです。

 

円は単眼だ。

中心がいくつもあるのであらば、単眼が複数絡み合う複眼だ。

見る角度が違えば、見えるものも違ってくる。

光の当て方が違えば、影の形が変わるのと同じ。

 

きっとこの頭は難しいことを考えるためにあるんだろう。

考えるために生きているのかもしれない。

 

考えるのをやめたときに、人生は終わるのかもしれない。

 

『一人称単数』村上春樹著 2020年7月 文藝春秋