一人称単数
久しぶりの村上春樹。
「一人称単数」とは世界のひとかけらを切り取る「単眼」のことだ。
しかしその切り口が増えていけばいくほど、「単眼」はきりなく絡み合った「複眼」となる。
そしてそこでは、私はもう私でなくなり、僕はもう僕でなくなっていく。
そしてそう、あなたはあなたでなくなっていく。
そこで何が起こり、何がおこらなかったのか。
「一人称単数」の世界にようこそ。
さて、
短編8作からなる。
石のまくらに
クリーム
チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ
ウィズ・ザ・ビートルズ
「ヤクルトスワローズ詩集」
謝肉祭
品川猿の告白
一人称単数
石のまくら
ある日”僕”は、アルバイト先の女性を部屋に泊める。
親しく言葉を交わしたこともなければ、名前だっておぼつかない人だ。
その女性から、数日後に短歌集が郵送されてくるというお話。
午後をとおし/この降りしきる/雨にまぎれ
名もなき斧が/たそがれを斬首
その後長い歳月が過ぎ去って、多くのものが消え去り、ささやかなあてのできない記憶だけが残る。
”僕”は思う。
「ときとしていくつかの言葉が僕らのそばに残る。(中略)その辛抱強い言葉たちをこしらえて、あるいは見つけ出してあとに残すためには、人はときには自らの心を無条件に差し出さなくてはならない。そう、僕ら自身の首を、冬の月光が照らし出す冷ややかな石のまくらに乗せなくてはならないのだ」(p23)
彼女が送ってきた短歌集が「死」を連想させる。
会津地方の昔話に似た話があって、
旅人を泊めた宿屋が、客に石の枕を出し、客が眠ると石の槌で頭を割って殺してしまうという話。
このお話で部屋に泊めてほしいと言ったのは彼女のほう。
枕を貸してあげたのは”僕”。
8つの短編すべてが、まるで村上春樹自身の私小説のような空気がある。
そして「死」がつきまとう。
たち切るも/たち切られるも/石のまくら
うなじつければ/ほら、塵となる
続き後日。