Lipton28 blog

欲求不明です。

父のこと

父が亡くなって49日が過ぎた。

無事法要もすませた。

こうやってすこしづつ日常が戻っていくのだろう。

 

父が亡くなることは、もうずっと前から覚悟はしていた。

怯えていた。

だが、あまりにもあっけなく逝き、粛々と様々なことが進んでいった。

あまり覚えてはいない。

 

世の中でたった一人の私の父親がこの世を去った。

そのことで見えたもの。見えてしまったこと。知ってしまったこと。

言ってしまった言葉。

聞かされた時の気持ち。

まぁ、誰もがそうなんだろう、そういうもんなのだろう。

 

家族も長くなると、互いの気持ちがわからない。

一緒にいても人の気持ちというのは分からないだろうが。

 

 

病院を転院することになって、車に乗り込んだ時のこと。

入院以来の対面だったが、もう会話らしい会話もできず。

ただ、ストレッチャーに固定された手をぐいと伸ばそうとする力はすごかった。

父なりに何かを伝えたかったんだろうと思う。

しっかり固定された手は言う事を聞かなかったが、

あの時の力は、はっきりと覚えている。

何を伝えたっかたそだろうか。

今となってはもうわかりようもないが。

 

49日の法要で、読経が流れたとき

身体がふっと暖かくなった気がした。

隣に小学4年の子どもが座っていて、どうかこの子たちの行く末を見守ってくださいと

心からお願いした。

 

 

父のこと

今月の初めに、父が亡くなりました。

92歳でした。

2月の中頃に救急車で運ばれて入院してからは

ほとんど話もできない状態でした。

救急隊の方々に支えられ家から出たとき、

父はたぶんもう家には帰れないことを知っていたんだと思います。

 

1か月半ほど過ぎたころ、長期療養型の病院へと転院になりました。

入院中はほとんど会えなかったので、

転院の時は車に同乗し、ストレッチャーの横に座りました。

 

父はストレッチャーに固定された腕を、

それはそれは力いっぱい伸ばそうとしました。

看護師から、

「点滴のチューブを抜かないように注意してあげてください」

といわれていたので、私は何度も

「お父さん、手は動かせないんだよ」と言いました。

何度かの後、あきらめたように父は静かになりました。

 

あの時

たぶん

きっと

父は手をつなぎたかったのだと思います。

 

以前は通院の時によく手をつないで歩きました。

父が90歳近くになったころから病院へは付き添いが必要でした。

内科と神経内科

私の仕事の休みに合わせて予約を入れました。

天気のいい日は、帰りに買い物なんかもしました。

子どもの時のように、父と手をつないで歩きました。

 

転院してから6日目でした。

何度も病院から連絡が入り、何度も病院へ向かい、帰宅後は少しずつ準備をしました。

いつでも、帰ってこれるように。

いつでも、迎えられるように。

和室をきれいに片付けたのを知ったかのように、

心臓が止まりました。

私たちが病院へ着く5分ほど前だったそうです。

 

自宅で仮通夜をしてから葬儀場へ行きました。

通夜の夜も、

葬儀の日も、

とても暖かで穏やかな日でした。

父が転院してからの日々は、本当に春を思わせるような暖かな日が続いていました。

寒がりの母が体調を崩すこともありませんでした。

 

一つ一つ、やらなければならない仕事を片付けています。

悲しむのはまだ先なのでしょうか。

いつもいつも、泣きたいのだけど泣けません。

涙が出てこないのです。

 

悲しみは孤独とペアでやってくるものなのでしょうか。

一人になりたいけど

一人になるのはまだ先のようです。

 

 

 

 

ありがとうございました。

 

ありがとうございました。

 

幸せをたくさん、ありがとうございました。

 

ありがとう

ありがとう

 

作詞・作曲 細野晴臣

 

ありがとう きみのきまぐれに ありがとう

ありがとう きみのでたらめに ありがとう

お世辞も 皮肉の言葉にも ただどうもどうも

口から出ることばは ただありがとうだけ

 

ありがとう きみの嘘っぱちに ありがとう

ありがとう きみの薄笑いにも ありがとう

お世辞も 皮肉の言葉にも ただどうもどうも

口から出る言葉は ただありがとうだけ

 

どうです僕は大地のように

かかわるすべてを受け入れるふり

だんだん馬鹿になっていくのです

 

ありがとう きみの忠告に ありがとう

ありがとう きみの親切に ありがとう 

石になったこころのそこに ひびいても

口から出ることばは ただありがとうだけ

 

どうです僕は大地のように

かかわるすべてを受け入れるふり

だんだん馬鹿になっていくのです

 

 

母のこと

母は86歳になった。

私も年を取るはずだ。

 

86歳だが、背筋がしゃんとまっすぐ伸びているので、

年齢を言うとほとんどの人が驚く。

だいたい、この年齢で毎日炊事洗濯と家事をこなしている。

 

母は皮肉屋だ。

私は小さい頃から、母の皮肉を聞いて育った。

だから自分もつい皮肉を言ってしまう。

そうとは気ずかずに。

自分なりに気をつけているつもりだが。

 

母は、長女として厳しくしつけられたからなのか、

今だにぼーっとテレビを見て過ごすことはない。

父とは対照的だ。

キッチンも風呂場もトイレも、気が付けばいつもいつも掃除している。

 

その母が、今日は具合が悪いという。

たしかに辛そうに見える。

私が父を病院に連れて行くから、その間に少し寝てろと言って家を出た。

 

でも、父が外で粗相をしたので慌てて連れて帰ると、

なんだか、押入れからいっぱい物を引っ張り出していた。

 

父をお風呂に入れて、母の布団を敷いて帰ってきた。

夜になって電話をしたら、

「ツムツムやってた」と。

具合は良くなったらしい。

 

労わってもらいたい。

でも同情されたくない。

かまってもらいたい。

でも自分の領域には入ってほしくない。

キッチンも洗面所も、掃除をされると責められている気分になるらしい。

 

我が母ながら、なかなかにこじれている。

 

6つ年上の父のことを、自分の分身のように

手を出し口を出す。

全身全霊で心配しているのだ。

多分、母の背骨は父なんだと思う。

 

母方の祖母は、海の祖母だ。

そして祖父は海の男だ。

祖母は14年間寝たきりだった。

ボケもせず、ただ病院で天井を眺めて過ごした。

今も思い出す。

私は決して優しい孫ではなかったと思う。

一緒に暮らしたことがなかったので、

入院している祖母を見舞っても、何をしてあげればいいのかわからなかった。

 

誰が見ても、仲の良い夫婦だった。

祖父は怖くて、祖母は優しい。

祖母が先に亡くなって、49日を待たずに祖父も逝った。

 

私はずっと怯えている。

これから来る未来のことを。

ずっと怯えている。

『一人称単数』クリーム

『クリーム』

 

主人公の浪人生である〝僕〟は、ある日ピアノの演奏会の案内状を受け取る。

相手は子どものころ同じピアノ教室に通っていた女の子から。

その女の子は、僕より一つ年下で、ピアノは僕よりうんと上手だ。

顔が合えば挨拶をするくらいで、個人的に話をしたこともなく、

親しい間柄ではない。

そんな相手からの、突然の案内状なので意外に思いながらも、その演奏会へと出かけてみることにした。

 

手には小さな花束を持って。

 

会場は神戸の山の上のホールである。

指定のバス停でバスを降りて、一人でさらに山道を登っていく。

周りは高級住宅街だ。

 

やがて会場であるホールにつくが、そこには無人の建物があるだけだった。

鉄扉は固く閉ざされ、南京錠がかけられている。

何かの間違いだろうと、案内状を確認するが日時も場所もあっている。

 

僕は来た道を戻ることにした。

重い足取りで。

途中に小さな公園があった。

僕はその公園にある四阿で休むことにする。

一度腰を落ち着けると、自分がひどく疲れていることに気づく。

 

その時、公園の周りにキリスト教の宣教車がスピーカーから流す声が聞こえる。

「人はみな死にます」

「すべての人は死んだ後、その犯した罪によって激しく裁かれます。」

 

 

なぜ自分がここにいるのか。

どうしてこんな目に合うのか。

考えているうちに、呼吸が苦しくなり過呼吸のような状態になった。

僕は両目を固く閉じて、呼吸を整えるように努めた。

 

ふと気が付き目を開けると、その四阿には一人の老人がいて

僕をじっと見ていた。

老人は苦しそうにしている僕を見ても何も言わず、

ただじっとそこにいた。

そして

「中心がいくつもある円や」と言った。

 

「中心がいくつもあってやな、しかも外周を持たない円をきみは思い浮かべられるか?」

 

 

「わからない」と答えた僕に老人は

 

「この世の中、何かしら価値のあることで、手に入れるのがむずかしうないことなんかひとつもない」

と言った。

「時間をかけて手間をかけて、その難しいことを成し遂げたときに、それがそのまま人生のクリームになるんや」

 

 

クレム・ド・ラ・クレム

クリームの中のクリーム。とびっきり最良のもの。

 

もう一度目を開けたときには、老人はそこにいなかった。

 

というのがあらすじです。

 

なんのこっちゃ。です。

全く分からない話です。

 

この話は、大人になった主人公の僕が、年下の友人に過去に起きた奇妙な話として語っている。

だから話を聞いた友人も「もうひとつ話がつかめないのですが」という。

そりゃそうだ。

 

で、この掴みどころのない奇妙な話が、読後よく思い出すのです。

「人生のクリーム」の話。

 

この主人公は大人になった今も、わからないという。

 

「ぼくらの人生にはときとしてそういうことが持ち上がる。

 説明もつかないし筋も通らない、しかし心だけは深くかき乱されるような出来事が」

 

「それはおそらく、具体的な図形としての円ではなく、人の意識にのみ存在する円なのだろう。

たとえば心から人を愛したり、何かに深い憐れみを感じたり、この世界のあり方についての理想を抱いたり、信仰を見出したりするとき、ぼくらはとても当たり前にその円のありようを理解し、受け入れることができるのではないか」

 

「きみの頭はな、むずかしいことを考えるためにある。

 わからんことをわかるようにするためにある。

 それがそのまま人生のクリームになるんや」

 

 

 

さて、この話のポイントは

・届いたピアノ演奏会の案内状の謎

・公園に響いた、キリスト教の宣教車の声

・四阿にいた老人

・人生のクリームの話

 

考えれば考えるほどわからないことばっかりだ。

わからないと放り投げてしまえば、そのまま時は過ぎる。

でも、放り投げてしまうには人生は長すぎて、

考えるには人生は短すぎると思うのです。

 

円は単眼だ。

中心がいくつもあるのであらば、単眼が複数絡み合う複眼だ。

見る角度が違えば、見えるものも違ってくる。

光の当て方が違えば、影の形が変わるのと同じ。

 

きっとこの頭は難しいことを考えるためにあるんだろう。

考えるために生きているのかもしれない。

 

考えるのをやめたときに、人生は終わるのかもしれない。

 

『一人称単数』村上春樹著 2020年7月 文藝春秋

父のこと

父は90歳を超えた。

父方の祖母は畑の祖母だ。

小さい頃、祖母の家に行くとぶどう棚があった。

割と低くて、頭にかかる。

虫が落ちてきたらどうしよう…と気が気じゃなかった思い出がある。

その祖母は102歳まで生きた。

きっと、父もあと10年は生きるだろう。

 

父は昨年から「レビー小体型認知症」という診断名がついた。

パーキンソン病ともいうらしく、手が小刻みに震える。

レビー小体型認知症の特徴は、幻視幻聴だ。

よく夜中に起きていろんなことをしていたらしい。

客人が来ているので相手をしなければならないとか。

黒子が二人いて、暖房の温度設定をいじるので困るとか。

一番びっくりしたのはインドネシア人の女性が真冬に薄着で訪ねて来たので

風邪をひかないようにお風呂に入れてあげようと大騒ぎしたこと。

今は病院から出される投薬治療で落ち着いてはいる。

だけど、

日々すこしづつ、確実に老いていく。

父の何かが失われていく。

 

生まれてからいろいろなことを身に付けて

今ははいろんなことを失っていく。

 

風呂上がりにドライヤーを片手に

「これはどうやって使うんだ?」と聞く。

 

毎日確実に死が近づいている。

 

いろんなことを教えてくれた。

そんな父はもういない。

本をたくさん読んでいた。

そんな父はもういない。

 

喜びに満ちた日々はもう来ない。

寂しいわけじゃない。

哀しいわけじゃない。

そういうものだと思うだけだ。

 

一つづつ手に入れたものを、

また一つづつ手放していく。

 

昨日までできていたことが、

今日はできなくなる。

 

昨日まで知っていたことが、

今日は知らない。わからない。

 

老いるのというのはそういうことなのだ。

 

それでも映画は「格差」を描く

「最前線の映画」を読むVol.3

 

Vol.3てことは、2と1がすでに発行されているのだろう

と思い調べてみると、出ていた。

2018.2.17に続き、2020.6.5 集英社インターナショナル新書から。

 

第3弾は「格差」が共通テーマだ。

目次には13作品の映画があるが、

内容はその一つ一つにさらにいくつもの映画が紹介されているので、

目次の何倍もの映画のことが書かれている。

 

見た映画も、見ていない映画もあり

見たいという気になる…というよりは、見た気になる。

それほど詳しく書かれている。

 

そしてそれぞれが哀しい。

 

映画の中で語られる人々は、金持ちも貧乏人も悪人はいない。

それは映画の外、つまり日常にあるという言葉は重い。

雨は上から下へと流れていく。

この資本主義そものものだという。

下へ行くほど、酷いありさまだ。

「女三界に家なし」が出てくるのは韓国での話。

日本と同じで、過酷だ。

『バーニング』の中で女の子は消えたいと思う。

希薄になり、透明になって消えたい。

消費だけを繰り返す中で「大いなる飢え」を抱えている。

万引き家族』の最後は、司法でいうところの「解決」して

親の元にもどった少女は、また寒い廊下に出されている。

 

最後の章『天気の子』では雨を穢れたものを洗い流す浄化と、

再生の儀式として紹介している。

 

 

あとがきで著者は、

「映画の中に出てくるギデクであり、アーサーであり、テザーズであり、ジョンスであり、バルラムであり、ロゼッタであり、ダニエルブレイクであり、帆高だ、と書いている。」

それはグローバルな資本主義の中でこぼれ落ちた人たちを。

いつ自分たちがそうなっても不思議ではないこの世界を。

 

『ジョーカー』の挿入曲、フランクシナトラが歌う「ザッツ・ライフ」の和訳が載っている。

 

これが人生さ

滑稽に見えるかい

蹴られて 夢に踏みにじられて

でも、俺はくじけない

この世は回るんだから

俺は操り人形だった

スカンピンで海賊で詩人で

捨て駒で 王様だった

 

上がったり下がったり

終わったり落ちたりしてきたけど

ひとつわかったのは

いつだって自分をみつければ

無様に倒れても

自分を取り戻して

レースに復帰できるんだ

 

 

繰り返し読みたいと思った本。

 

「最前線の映画」を読むVol.3 それでも映画は「格差」を描く

2021.10.12 集英社インターナショナル新書 町山 智浩/著