裸足で逃げる
想像以上にキツい本だった。
「私たちは生まれたときから、身体を清潔にされ、なでられ、いたわられることで成長する。だから身体は、そのひとの存在が祝福された記憶をとどめている。その身体が押さえつけられ、なぐられ、懇願しても泣き叫んでもそれがやまぬ状況、それが、暴力が行使されるときだ。そのため暴力を受けるということは、そのひとが自分を大切に思う気持ちを徹底的に破壊してしまう。」(p6)
暴力は循環し、世代を超えて連鎖する。
著者は、2012年夏から2016年夏までの4年間、沖縄で風俗業界で仕事をする女性たちの調査を始めた。
年若くして夜の街に押し出された少女たちがどのような家庭で育ち、どのように生活しているのか。それらを知ることで暴力の被害者になってしまう子どもたちの支援の方法を考えるというもの。
著者が昔、地元沖縄でたくさんのことを見たり聞いたりして、自分たちの街にある暴力にうんざりしていく。自分の中にある、明るく光るものが壊れていくような気がして街を離れる。
その気持ちが痛いほどよくわかる。
本を読んでいて私自身がうんざりした。
自分がする減っていくような気さえした。
そして地元に戻った著者は、彼女たちに話を聞き、深く踏み込んでゆく。
「私には地元の街でだれかの姿を見失うことをもう二度と繰り返したくないという強い思い」(p18)とともに、とても静かだが怒りを感じる。上間さんの怒り。
うんざりする物語の後に、上間さんのあとがきを読んで泣けた。
「彼女たちは生き抜いたのだ。
自分の足でそこから逃げて、生きている。
彼女たちの拠り所が子どもしかないこと、回帰する場所が家族しかないこと、こんなにもいくつもの困難をひとりで引き受けるしかなかったこと。
これが日本の現実。
ああ、どうやっても朝はやってくるのだから、簡単に絶望してはならないという思い。
女の子たちが自分の足で歩こうと切り開く道が、引き受けるに値する相応の困難と、それを克服する喜びに満ちたものであることを願っている。」(あとがき)
いつもいつも寄り添うとする上間さんの姿がそこにある。
どんなにうんざりしても。
どんなにうらぎられても。
上間さんは駆け付ける。
この本に記された少女たちの後ろにいる、何十人何百人もの少女たちを思う。
いま世界で戦争が始まっている。
かの国は、情報統制がされているという。
そう聞くと「ひどい国だ」と思うが、はたして我々の住むこの国では違うのか?
沖縄で何万人クラスの集会があっても一切報道されない。
給食費が払えなくて、家のことをしなければならなくて、あるいは勉強についていけなくて学校にいけない子どもたちが、いったいどれほどいるのか。
自分で知ろうとしなければ、何もわからない。
こんなに一日中、テレビから映像が流れているのに。
まずは知ること。
それが何よりも1歩なのだ。
上間さんの怒りを、失望を受け止めるところから始めるのだ。
裸足で逃げる 沖縄の夜の少女たち 上間陽子著 2017.3.1 太田出版