絞め殺しの樹
もっさもっさと雪が降る。
おかげでバスもJRも全面運休。
仕方ないので歩いて移動中、トラックがスタッグして歩道を塞いでいた。
大人が2人でせっせと雪を掻き出しでいる前で、
腕を組んだオヤジが
「だいたいこんなところに頭から突っ込むほうがどうかしている」と
ずーーーっと怒鳴っている。
怖いので迂回する。
そんなことを言えば、だいたい車が多すぎる。どうかしている。
歩いている途中、渋滞の車道にずらーっと並んだ乗用車は運転手しか乗ってない。
こんだけ雪降って、同じだけの車が出たら渋滞するだろうよ。
ほんと、どうかしている。
ま、言ったところでどうしょうもないが。
そんなこんなで家にこもってゆっくり読書。
『絞め殺しの樹』/川﨑秋子著
これがすごいのなんのって。
力があるのよ文章に。
ぐいぐい進んでゆく。
でも決して無理な力技じゃない、繊細な力だ。
昭和の初めに北海道根室で生まれたミサエは、
生まれてすぐに母を亡くし、父はもともといない。
祖母に育てられるが幼くして祖母の遠い親戚の新潟に引き取られる。
10歳になったころ根室で畜産業を営む吉岡家に
労働力として引き取られる。
その暮らしが、胸が苦しくなるほどの過酷な暮らしだ。
雪深い北の地で、
たった10歳で。
それでもほかの暮らしを知らないのだから、
ここで生きるよりしょうがない。
一日、一日と過ごしていく。
そんな中でも気にかけてくれる人もいた。
他人の口添えもあり、なんとか札幌の学校に進むことができて
保健婦となる。
やがて結婚し子どもが授かるが、それは幸せな結婚ではなかった。
これでもかこれでもかと身に降りかかる不幸。
そこに〝お寺〟の存在がある。
北海道の地方ではお寺の存在は大きい。
住職の妻である坊守さんの存在が私は好きだ。
「いつかは枯れる」という。
死ぬときは誰にも見られたくないというミサエに
「左様なら」と。
あなたがそうあるならば。
「気をつけて。あなた、自分で思っているほど、哀れでも可哀相でもないんですよ」
(p269)
自分の不幸に寄りかかり、そこから養分を得ていたことに気づく場面がとても良い。
そうして1部であるミサエの章が終わる。
2部はミサエの息子、雄介の話である。
複雑な環境で育った雄介だが、読んでいて何度も胸が熱くなる。
この青年の幸せを心から思う。
著者である川﨑秋子さんは1979年生まれで、まだお若い方だ。
以前『肉弾』を読んで、その文章の力強さに惹かれた。
これはさらに読ませる作品だ。
絞め殺しの樹とは菩提樹のこと。
昭和の初めから現代へと続く物語に、
屯田兵として最初に開拓に入った一家の思いと
正しさだけでは割り切れない人の心。
「哀れだ」と雄介の思いが言わせる。
「絡み合い、枯らし合いそれでも生きる人たちを、自分も含めて哀れだ」と。
そして
「我々は哀れで正しい。根を下ろした場所で、定められたような生き方をして枯れていく。産まれたからには仕方ない。死にゆくからには仕方ない。」
(p428)
読み終えた後、しばらくぼーっとしてしまった。
長いドラマを見たような、映画を見たような。
とても良い読書の時間だった。