Lipton28 blog

欲求不明です。

そして、華氏451度

今日は金曜日か。

こんな気持ちで週末放り出すなんて。

ジョーはあんなこと言っちゃうし。

笹プロの社長さんは、思ったほど良い人ではなかったし。

べりーちゃん、みんなまとめて叱り飛ばしておくれ!!

 

「ぼくらは、しあわせになるために必要なものはぜんぶ持っているのに、

しあわせではない。なにかが足りない。

だから探してみた。

なくなったことがはっきりわかっているのは、

この十年、十二年で僕が燃やした本だけでした。」(p139)

 

一度は絶望的な気持ちで本を置いてしまった『華氏451度』だけど、

川沿いに逃げた彼らは、

街が燃えたと知って、戻ろうとする。

今こそ自分たちが必要だと。

「人は死ぬとき、なにかを残していかねばならない、

と祖父はいっていた。

子どもでも、本でも、絵でも、家でも、自作の塀でも、手作りの靴でもいい。

草花を植えた庭でもいい。

なにか、死んだときに魂の行き場所になるような、

何らかの形で手をかけたものを残すのだ。

そうすれば、誰かがお前が植えた樹や花を見れば

お前はそこにいることになる。」

 

「ひとつ絶対に忘れてはならないことがある。

お前は重要ではない。

お前は何者ではない、という思いだ。

いつか、我々が携えている荷物が誰かの助けになる日が来るかもしれない。

しかしだ、ずっと昔、本を手に持っていた時代でさえ、

我々は本から得たものをまともに利用してはいなかった。」

「我々は来週、来月、来年と、多くの孤独な人々に出会うことになるだろう。

彼らに、なにをしているのかと尋ねられたら、こう答えればいい。

我々は記憶しているのだと。

長い目でみれば、それが結局は勝利につながることになる。」

 

 

父はもういろんなことを忘れてしまった。

遠い昔のことだ。

でも、私が覚えている。

父から教わったこと、してもらったこと、買ってもらったものを。

それでいい。

いいんだ。

私が忘れたら、私が手をかけたものが思い出してくれるかもしれない。

 

そんな風に思えたので、

やっぱり名著なのでしょう。

『華氏451度』レイ・ブラッドベリ/著、伊藤典夫/訳 早川書房2014

 

2022.1.21