小説『わたしを離さないで』 ~救いはあるのか~
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)/カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳
物語はキャシーという女性の一人語りで進んでいく。
さながらキャシーの日記を読んでいるようで、『アンネの日記』を連想させる。
彼女は31歳で「介護人」という職業に就いている。
さて、この介護人というのはどういう仕事なのだろうか。
生と性を深く描いている作品だか、不思議と愛情が感じられない。登場人物たちはまるで卵で産まれてきたかのように、それぞれが小さな子どものような感情を爆発させる。
思春期真っ只中のような少し幼いキャシーの語りが、母性を消し痛々しさや生々しさを薄めている。
物語の中の「命を生み出すシステム」がうまく想像出来ないと、なかなか物語に入り込めない。
妙にディテールがしつこいくらいに細かく書いてあるのに、さっぱり人物像が浮かんでこない理由だろうか。誰にも感情移入ができない。
まるで「むき出しの命」。
人間が生きる為に必要な分だけ作られた命。ほのかに人格があるように見える。個性的に。
しかしそれは、うわべだけのつくりものに映る。
名前を与えられ、文化や芸術、教養を身に着けたその「命」はなんだか寒々しくて哀しい。
「ほら、家畜にも人生を与えたら、人間と変わらないでしょ?」という活動をしていた人は、世間には受け入れられない。
なぜ?
なぜ受け入れられないのか。
その活動は賛同を得ずしぼんでいく。
人間が利用した後の「命」を看取るための介護人。
これは、とてもとても辛い仕事だ。
私なら到底務まらない。
読後もさざ波のように、疑問が押し寄せては引き返す。
さぁ、考える時間だよ、と。
命には必ず限りがある。
それは誰でも平等に。
生まれてきた命は必ず死ぬ。
それは誰でも知っていること。
運命は誰にでもあるだろう。
使命も誰にでもあるのかもしれない。ただ気づけるかどうかの違いで。
私たちが生きるという事は、なんらかの犠牲の上に成り立っていること。
目を背けて、見ないふりをしてはいけない。
私の命は誰かの、何かの犠牲の上に成り立っているという事実。
こんなに辛い物語なのに、最後にかすかな希望を感じるのは不思議だ。
それがきっと、カズオ・イシグロ氏の力強さなのだと思う。
読んで良かったと思える作品。